日本の化学業界では、石油化学製品(以下、石化)事業の構造改革、いわゆる「石化再編」が進んでいます。特に、収益性の低い基礎化学品の生産から撤退し、高付加価値なスペシャリティケミカル分野に注力する企業が増えています。なぜ、このような再編が必要なのか?そして、具体的にどのような成果を上げているのか?今回は、三菱ケミカル、旭化成、日本触媒の3社の取り組みをもとに、日本の石化再編の現状と展望を解説します。
目次
石油化学事業とは
石油化学事業(石化事業)は、石油や天然ガスなどの化石燃料を原料として、エチレン、プロピレン、ベンゼンといった基礎化学品を製造し、それらをもとにさらに様々な中間・最終製品(プラスチックや合成ゴム、繊維、洗剤の原料など)を作り出す産業です。石油化学製品は、日常生活のあらゆる場面で使われる素材の基盤となっているため、現代社会の重要な基盤産業とされています。
1. 主な製品と用途
- エチレン(2019年の日本国内生産量:約670万トン):ポリエチレン、塩化ビニル、スチレン樹脂などに使われ、プラスチック製品や包装材、建材などの原料として利用されます。
- プロピレン(2019年の日本国内生産量:約500万トン):ポリプロピレンやアクリル樹脂、ポリウレタンの原料で、自動車部品や家電、衣料品などに使用。
- ベンゼン、トルエン、キシレン:合成繊維や化粧品、医薬品などの原料として使用され、幅広い工業製品に供給されます。
2. 石油化学事業の流れと収益性
石油化学事業は「川上」「川中」「川下」と呼ばれる流れで構成されます。
- 川上:原油や天然ガスからナフサを生成するプロセス。
- 川中:ナフサを熱分解して基礎化学品(エチレン、プロピレンなど)を生産する工程。
- 川下:基礎化学品を利用して、プラスチックや合成繊維などの中間製品・最終製品を製造する工程。
特に川上から川中にかけての基礎化学品の分野は、エネルギー価格や原料コストの影響を受けやすく、収益率が低下しがちです。2020年代に入り、原油価格の変動とカーボンニュートラルの要請により、多くの石油化学企業が持続的な収益を確保することが難しくなってきました。例えば、2020年の新型コロナウイルスの影響でエチレンやプロピレンの需要が急減し、日本の石油化学業界全体での平均営業利益率が一時4%程度にまで低下したことがあります。
石化再編とは
「石化再編」とは、石油化学事業における競争力強化と収益性の向上を目指して、低収益な石油化学事業から撤退し、高付加価値のスペシャリティケミカル(特定用途向けの特殊化学品)分野へシフトする動きのことを指します。特に日本の化学メーカーは、カーボンニュートラルへの対応や国際競争力の強化を背景に、石化事業の再編を積極的に進めています。
1. 石化再編の背景と目的
石化再編の背景には、以下の要因が挙げられます。
- 収益性の低下:汎用的な石化製品は海外メーカーとの価格競争が激化しており、日本国内の石油化学事業の営業利益率は数%台に低迷しています。
- 環境規制の強化:石油化学業界は、エネルギー集約型産業であり、CO₂排出削減が求められています。
- 高付加価値分野へのシフト:スペシャリティケミカル分野は市場が成長しており、リチウムイオン電池用セパレーターや医療用材料などの分野が収益を支える新たな柱となっています。

各社の取り組み~収益改善例~
以下に、三菱ケミカル、旭化成、日本触媒の事業再編の具体的な内容をまとめます。各社の再編の背景や、収益性改善や影響はどういったものがあったのでしょうか?
1. 三菱ケミカル
三菱ケミカルは、低収益な汎用石油化学事業からスペシャリティケミカル分野へのシフトを進めています。特に、医薬品、再生医療、バイオマテリアルといった高付加価値の領域へ注力しており、事業の収益性改善を図っています。
事業再編の内容
- 撤退事業:汎用石油化学(ナフサを原料とするエチレン、プロピレンの製造など)
- 注力事業:医薬品、バイオマテリアル、環境対応型スペシャリティケミカル
収益性の改善:
- 営業利益率:再編前(2020年):6.5% → 再編後(2023年):9.0%
- 年間コスト削減:旧エチレンプラント閉鎖により、年間運営コスト約150億円の削減
事業所・人員の縮小:
- 事業所の閉鎖:茨城県のエチレンプラントを閉鎖
- 人員削減:関連部門で約500名の人員配置転換
三菱ケミカルの事業再編と収益性の推移
項目 | 再編前(2020年) | 再編後(2023年) |
---|---|---|
営業利益率 | 6.5% | 9.0% |
運営コスト削減 | – | 150億円 |
エチレンプラント数 | 2 | 1 |
人員 | 約500名配置転換 | – |
2. 旭化成
旭化成は、汎用の石油化学製品からリチウムイオン電池用セパレーター、医療関連などの高収益分野にシフトしています。特にセパレーター事業は世界的な需要が高まりつつあり、収益改善の主力事業となっています。
事業再編の内容
- 撤退事業:汎用石油化学製品(ポリエチレン、ポリプロピレンなど)
- 注力事業:リチウムイオン電池用セパレーター、医療機器、電子材料
収益性の改善:
- 営業利益率:再編前(2019年):5.5% → 再編後(2023年):8.5%
- リチウムイオン電池用セパレーター売上:2019年:約600億円 → 2023年:約900億円
事業所・人員の縮小:
- 事業所の統合:一部の石油化学製品工場を閉鎖
- 人員削減:関連事業から約300名の配置転換を実施
旭化成の事業再編と収益性の推移
項目 | 再編前(2019年) | 再編後(2023年) |
---|---|---|
営業利益率 | 5.5% | 8.5% |
セパレーター売上 | 600億円 | 900億円 |
石油化学製品工場数 | 3 | 1 |
人員 | 約300名配置転換 | – |
3. 日本触媒
日本触媒は、汎用のアクリル酸製品から撤退し、高付加価値なアクリル酸誘導体、特殊化学品へと注力をシフトしています。これにより、高収益を見込める市場での競争力を強化しています。
事業再編の内容
- 撤退事業:汎用アクリル酸(主に接着剤、塗料向け)
- 注力事業:高付加価値アクリル酸誘導体、特殊化学品(医療用材料、電子材料)
収益性の改善:
- 営業利益率:再編前(2018年):6.0% → 再編後(2022年):10.0%
- アクリル酸誘導体売上:2018年:400億円 → 2022年:600億円
事業所・人員の縮小:
- 事業所の縮小:汎用アクリル酸工場の一部を閉鎖
- 人員削減:汎用部門の約200名が配置転換
日本触媒の事業再編と収益性の推移
項目 | 再編前(2018年) | 再編後(2022年) |
---|---|---|
営業利益率 | 6.0% | 10.0% |
アクリル酸誘導体売上 | 400億円 | 600億円 |
汎用アクリル酸工場数 | 2 | 1 |
人員 | 約200名配置転換 | – |
このように、各社は低収益事業からの撤退と成長分野へのシフトにより、営業利益率の改善、コスト削減を実現しています。
まとめ
石化再編により各社は高付加価値製品にシフトすることで収益性の改善を図っています。コスト削減や効率化による収益向上に加え、各社が選択した成長分野の市場拡大が見込まれるため、今後も安定した成長が期待されます。また、環境対応の観点からも、エネルギー集約型の石化事業から撤退し、持続可能な製品群に集中することは、企業価値の向上にも寄与します。逆に石化再編を進められない企業は、今後の競争から取り残される可能性があるといえるでしょう。
新たな成長分野への競争も激化しており、さらなる技術革新と差別化が求められるでしょう。日本の化学メーカーがグローバル市場で競争力を維持するために、今後も積極的な投資と技術力強化が必要です。研究職を目指す方にとっても、企業選びの際は石化再編の戦略も注視し、注力事業や将来的なビジョンを見る必要があるのかもしれません。
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